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【インタビュー】お客さまの販売戦略にイノベーションを!(前編)

こんにちは、バズーカ運営チームです。今回はバズーカの運営企業である株式会社ジーエークロッシング代表取締役社長の小川洋一に、「お客様の販売戦略の最高のパートナー」であるジーエークロッシングという会社についてインタビューを実施。前編では、ジーエークロッシングの特徴や、開業に至るまでの経緯についてお聞きしました。

プロモーション戦略をトータルに担う

――ジーエークロッシングとはどのような会社なのでしょうか?

小川:当社は、販促プランニングからクリエイティブ、メディア・コンテンツ制作、データ分析までを手がける会社です。リアル店舗からデジタル領域にかけて、お客さまの販売戦略を総合的にサポートする「ワンストップ・ソリューション」を提供しています。兵庫県神戸市に本社を、東京都港区に東京本部を構え、中国・上海には杰可荣新企业形象策划上海有限公司をグループ会社として展開。各所に大規模な撮影スタジオを設けていることも当社の特徴だといえるでしょうね。


兵庫県本社・PIXスタジオビル

――「ワンストップ・ソリューション」について詳しくお聞かせください。

小川:ワンストップ・ソリューションのメリットは、第一に、全体を把握することでより効果的なプロモーションができること。第二に、トータルで請け負うことでクライアントに対して、コストダウンを提案することができます。プランニングだけ、デザインだけ、といったひとつのセクションを請け負った時には、コスト高になったり、見積もりが合わなかったりということが多々あるもの。ワンストップ・ソリューションなら、より効果が高く、予算を抑えたプロモーションができるため、お客さまにとっても当社にとってもWIN×WINのビジネスができるわけです。私たちはお客さまの販売戦略における課題解決のために最大の努力を惜しまず、最高のパートナーでありたいと願っています。

「普通の子」からジーエーグループの一員に

――それでは、ジーエークロッシングを今の姿に成長させるまでの道程についてお聞きします。幼いころから、いつかは起業をしたいという夢があったのでしょうか?

小川:私は、福岡県北九州市の海にほど近い門司というところで生まれ育ちました。両親はサラリーマン、成績は中くらい、わんぱくというわけでもない普通の子。将来起業するなんて、子どものころは思ってもみませんでした。ただ、いつかは都会で大きな仕事をしてみたいという野望は、高校生ぐらいから持っていたんです。九州で都会といえば、まず博多を目指すのが定番。私もご多分にもれず博多にある福岡大学商学部に入学しました。

大学時代は勉強もせずにもっぱらアルバイト生活で、まだ将来のことを決めきれずにいたのですが、そんな時、アルバイト先にとても目を引くおしゃれな男性が来たんです。その人は印刷会社に勤めていました。東京ならちょうど広告代理店に勤務しているような、クリエイティブなビジネスマンといった感じでしょうか。彼への憧れと、私自身モノを作るのが好きだったこともあり、1986年、株式会社旭印刷(現、株式会社ゼネラルアサヒ)への就職を決めました。

震災を機に神戸へ移って「帝王学」を学ぶ

――就職後は、どのような仕事を担当されたのですか?

小川:私が担当した得意先は百貨店でした。当時の百貨店は今と違って景気がよく、お客さまに対する一年間の販促計画をしっかりと立てて、さまざまな施策を実施することができました。百貨店の膨大な取り扱い品目において、季節やトレンドを先取りした年間プロモーションを徹底的に学んだことにより、自分の中に知識や実績が積み重なっていったのです。この時の経験は、現在でも営業や経営のベースになっています。

――ご自身のキャリアの中で、転機になった出来事をお聞かせください。

小川:神戸の大手生協さまとの取引がちょうど始まったタイミングで、1995年、あの阪神淡路大震災がありました。これをきっかけに、一般的には関西といえば大阪ですが、ゼネラルアサヒは復興支援と事業拡大、両方の意味から、関西地区の拠点を神戸に立上げることになったんです。博多の次に狙う都会は関西だと考えていた私は、この立ち上げの業務に志願。神戸に転居して、本当にゼロからのリスタートになりました。

誰もが精力的に復興しようとする当時の神戸で、営業の面白さや、幅広い年代の人と知り合える楽しさに魅了されました。特に小さな会社の経営層の方々とのお付き合いで勉強になったのは、サラリーマン世帯の私にはそれまで学ぶことがなかった、実際の経験に基づいた「帝王学」。今でも私の財産になっていることは間違いありません。

――その後、独立に至ったのは何かきっかけがあったのでしょうか?

小川:充実した日々を過ごしてはいたのですが、気が付けば、神戸の責任者になって10年。社長からは「神戸に墓を買え」と言われ(笑)、このまま人生を終わるかと思うとゾッとしたことを鮮明に覚えています。独立を考えたものの、厄年になる前の年だったこともあり、42歳になるまで待機。ゼネラルアサヒから資本金を出してもらえることが決定し、ジーエーグループの最大の会社として、2006年に分社独立という形で株式会社ジーエークロッシングを起業することになりました。退職金をそのまま創業資金に回して、さらに多額の借金もこしらえて……。大きな希望と小さな不安を抱えたスタートでした。


株式会社ジーエークロッシングの開業秘話をお聞きしました。その後の苦労と発展、ソリューション事例は【後編】でご紹介します。

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